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本日、無事に集中講義を終えました。先ほど川崎に帰ってきました。
住民税と事業税を扱うことができなかったのは心残りですが、所得税などに時間をかけたので、やむをえないところもあるでしょう。
私自身にとっても今後の課題(教育と研究の双方)を見つけることとなったものとなりましたが、学生諸君はいかがだったでしょうか。
毎日の課題など、難しかったかもしれません。しかし、これは、科目の性質によるところが大きいと考えてください(私に原因があると言われたら否定はしませんが)。税法学は法律学の中でも最も応用度の高いものです。しかも、様々な領域に関係します。
また、思考方法も関係します。一つのモノを別の方向から見る、分解して考えるということが必要であるからです。もちろん、法律学の場合、道具は法律の条文と法律学上の概念ですが、それだけでなく、素朴な発想あるいは疑問も必要です。
「わからない」という発言にはいくつかのタイプがあって、本当に考え抜いてもわからないということもありますが、実際には直感で捉えられず、頭を使わなければならないがそれが嫌であるという場合に「わからない」ということが多いようです。これでは前進しません。一つのことを一つの決まった角度からしか見ない人が多いことに気付き、自戒しています。
もうひとつ、これはどこの法学部にも共通するかもしれませんが、カリキュラムに相当の無理があると思われます。多くの法学部で学科制(但し、法律学科と政治学科という構成ではない)、コース制やそれに近いものが採用されていますが、法科大学院における法学教育とも連動していませんし、六法のうちの民事訴訟法や刑事訴訟法などを履修しなくともよい、さらには憲法の統治機構または人権を履修しなくともよいなどというところもあります。これで法律学の基礎を修めることができるとは到底思えません。
また、行政法総論を2年生の科目とし、民事訴訟法や刑事訴訟法を3年生の科目にしているところも多いようですが、これも無理があると思っています。このようなカリキュラムでは、税法などの応用科目の基礎的部分を理解することは難しいでしょう。
私は、基礎六法を1年生と2年生の間に履修し、それ以外の科目は3年生以降に履修するというパターンが最善だと思うのですが、現在の状況では4年生に十分な学習を行わせることが難しいので、明快な最善パターンが浮かんできません。
最後に、これは西南学院大学だけの問題ではないので敢えて黙っていましたが、ここで記しておきます。
私は、法律学科の学生が六法などを参照して条文を読まないのでは話にならないと言っています。多くの学生が、六法を持ってきていないのでしょうか、条文を参照しようとすらしません。これでよく法律学の勉強ができると感心しますが、条文を読まないのですから理解できる訳もないと思っています。
たしかに、小型の六法には国税通則法も所得税法も掲載されていません。しかし、それなら別の方法を考えればよいだけの話です。教科書をあらかじめ読んでいれば、そこに書かれている条文など簡単にわかるでしょう。せめて、それだけは準備するようにしなければならないでしょう。
また、教科書ではなく、条文の解説あるいは概要だけが書かれているようなもの(たとえば、どこかの税理士事務所か何かのホームページの記事)を持参している学生もいましたが、これは法律学の勉強にとって有害です。少なくとも、使い方に慎重さを必要とします。条文そのものを見なくなるからです。解説や概要は、誰かがまとめたりしていますが、その誰かの手が加わっているということが問題なのです。
条文を読まずにわかった気になるというのは、オリジナルを読まずに解説書だけ読んで古典を楽しんだりするようなものです。
あるいは、モーツァルトの交響曲第40番の全部を聴かないでポップスに編曲された第1楽章の抜粋だけを聴いているようなもので、これでは交響曲第40番の良さを理解できないでしょう(あまりにそういう人が多いので、書いてみました。この交響曲は、第2楽章以降も聴かないとだめです。もっとひどい聴かれ方をされているのがベートーヴェンの交響曲第5番と第9番でしょう)。
憲法も民法も刑法も税法も同じで、まずは条文から。
私の大学院時代の指導教授が何度もおっしゃっていましたが、「法律学は言葉の学問」なのです。
http://kraft.cside3.jp/
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